釧路地方裁判所 昭和43年(わ)10号 判決 1969年4月21日
主文
被告人を罰金一〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。
司法警察員が被告人から昭和四二年一〇月一一日領置したさけ二一三尾の換価代金二三万七、〇四六円のうち金一八万円を、同年一一月三日領置したさけ二九尾の換価代金二万四、七一二円をそれぞれ没収する。
訴訟費用は全部被告人の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人は、動力漁船第一一ゆき丸(総トン数六・九一トン)を所有し、同船に船長兼漁撈長として乗り組み漁業を営んでいるものであるが、北海道知事の許可を受けないで、(一)同船乗組員伊賀野善一ほか二名と共謀の上、昭和四二年一〇月九日夜クナシリ島ハツチヤウス鼻西約二・五海里附近でさけを採捕する目的で同船により投入した流し網五〇反が同月一〇日午前四時ころまでに右ハツチヤウス鼻西沖合約三・五海里附近まで流れてきたので、そのころ同所において同船により右流し網を揚げ、よつてさけ約一八〇尾を採捕し、(二)同船乗組員三上俊明、同大槻光信、同三輪勇治と共謀の上、同年一一月二日午後六時四〇分ころ根室港北防波堤灯台より三〇〇度、六・四海里附近の海上において同船によりさけを採捕する目的で流し網五〇反を投入し、同日午後九時二〇分ころまでの間にさけ二九尾を採捕し、もつて小型さけ・ます流し網漁業を営んだものである。
(証拠の標目)(省略)
(法令の適用)
被告人の判示所為は包括して漁業法六六条一項、一三八条六号、刑法六〇条に該当するので所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一〇万円に処し、右の罰金を完納できないときは刑法一八条により金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、漁業法一四〇条本文を適用して司法警察員が被告人から昭和四二年一〇月一一日領置したさけ二一三尾の換価代金二三万七、〇四六円のうち金一八万円を、同年一一月三日領置したさけ二九尾の換価代金二万四、七一二円をそれぞれ没収し、訴訟費用については刑訴法一八一条一項本文を適用して全部被告人に負担させることとする。
(公訴事実の一部が
一、本件公訴事実中、被告人が「第一、同船(第一一ゆき丸)乗組員伊賀野善一、同氏名不詳者二名と共謀のうえ、昭和四二年一〇月六日午後六時ころから同月一〇日午後八時ころまでの間前後五回に亘り国後島ハツチヤウス鼻西方三海里附近の海上において同船によりさけ流し網五〇反を使用し、さけ二一三尾(二三万七、〇四六円相当)を採捕し」たとの点については、前掲各証拠((一)の事実関係)によるとつぎの事実、即ち、被告人は昭和四二年九月末ころ自己が雇い入れていた伊賀野善一ほか二名にクナシリ島沿岸海域でさけを採捕する計画を打ち明けてその承諾を得、同年一〇月六日昼ころ右三名とともに第一一ゆき丸に乗り組んで花咲港を出航し、同日午後五時ころクナシリ島ハツチヤウス鼻西沖合約二・五海里の海上に達したこと、被告人らは直ちに漁を開始し、同月九日夕刻までに流し網五〇反を使用して四回投揚網したところ、不漁でさけは合計約三〇尾位しか採れなかつたこと、右四回の操業地点はいずれも右ハツチヤウス鼻西沖合約二・五海里附近であつて三海里以内にとどまつていたこと、同月九日の晩右四回の操業と同じ地点で五回目の投網を終えた際、ソヴイエト社会主義共和国連邦(以下ソ連邦という。)の監視船らしい船が近づいてきたので、第一一ゆき丸はハツチヤウス鼻西方沖合約六海里附近まで無灯火で逃げてきたこと、同月一〇日午前一時二〇分ころ同地点で海上保安庁巡視船「だいとう」に発見され立入り検査を受けたが「だいとう」が離去した後第一一ゆき丸は投網地点に引き返したところ、投入した網は殆んど移動していなかつたこと、被告人はなおもソ連船を警戒して船を流していたら投入した網はハツチヤウス鼻西沖合約三・五海里の地点まで流れてきたので、被告人は同日午前四時ころ同地点で網を揚げたところ、さけが約一八〇尾採れたことが認められる。
二、前項で認定した被告人の五回の操業がいずれも漁業法六六条一項、一三八条六号所定の犯罪を構成するかどうかを判断するについては、まず同法六六条一項が日本国領海内外の如何なる海面を規制しているかにつき検討しなければならない。この点につき同法六六条一項は直接規定していないし、また同法全体を見渡しても明文の規定はない。もつとも漁業法三条および四条は「公共の用に供しない水面には、別段の規定がある場合を除き、この法律の規定を適用しない。」「公共の用に供しない水面であつても公共の用に供する水面と連接して一体を成すものには、この法律を適用する。」と規定する。ここに云う「公共の用に供する」の意味は必ずしも明確ではないか、右両法条は要するに、水面が水産動植物の採捕に関し、直接一般公衆の使用に供せられるものであるか、特定人の使用のみが許されるものであるかによつてその適用範囲を定めているのであつて、本件で問題となる同法が日本国領海内外の如何なる海面に適用されるかについては右両法条の定めるところではないと解すべきである。したがつてこの点については漁業法全体の目的性格ならびに同法六六条一項の意義を勘案して決定することになる。
漁業法一条は、「この法律は、漁業生産に関する基本的制度を定め、漁業者及び漁業従事者を主体とする漁業調整機構の運用によつて水面を総合的に利用し、もつて漁業生産力を発展させ、あわせて漁業の民主化を図ることを目的とする。」と規定し、この目的のために漁業権および入漁権の設定および権利行使の方法等に関し、ならびに漁業権および入漁権にもとずかない漁業の禁止、制限とその解除等に関し六六条一項を含む漁業調整上の各種行政規制を加えている。これらの漁業調整上の各種規制がわが国の領海における漁業に必要であり、且つその効果を挙げ得ることはここに説明するまでもないところである。また公海は国際法上あらゆる国の人が航行、通商、漁業などのために原則として自由に使用できるのであつて、現実にもわが国の漁民は広く世界各地の公海で漁業を営んでおり、わが国は公海におけるわが国の漁業に対しその属人的統治権にもとずき実力によつて規制することができるから、漁業法所定の前記の各種規制が公海における漁業についても必要であり、その効果を挙げ得ることはわが国の領海の場合と何ら異らない。したがつて漁業法がその定める各種の行政規制をわが国の領海および公海に及ぼす趣旨であることは明らかである。
しかし外国領海は国際法上当該外国の属地的統治に委ねられ、他の国は無害航行等特別の場合を除いては自由に使用できないのであつて、日本国、アメリカ合衆国、ソ連邦等主要国が当事国となり日本国に関しては昭和四三年七月一〇日発効した「領海及び接続水域に関する条約」もその第一条で「国の主権はその領土及び内水をこえ、その海岸に接続する水域で領海といわれるものに及ぶ。」と規定してこの旨を明らかにしている。漁業に関しても国家はその領海につき原則として排他的権利を有する。したがつて外国領海においてわが国の漁業者が漁業を行えば当該外国により領海侵犯等の理由で取締りを受け処罰されても止むを得ないところであるから、わが国の漁業者は外国の領海に立ち入つてまで操業することを差し控えるのが通例であり、それ故国家間の条約等の合意によりわが国の漁業が許されている場合は格別、外国の領海における漁業にまで漁業法所定の漁業調整上の規制を一般的に及ぼす必要があるか否かはすこぶる疑問である。また漁業法一三四条は主務大臣または都道府県知事が漁業調整等のため必要な場合には当該官吏吏員をして漁場、船舶等に臨んで状況、物件等の検査をさせることができる旨規定しているが、外国領海は国際法上わが国の統治権の実力を正当に及ぼし得ない地域であり、国際法規の遵守をうたう日本国憲法の趣旨からもわが国は外国領海に立ち入つてまで右検査を含む漁業取締りの実力を行使し得ないものというべきである。さらに翻つて考えるに、漁業法は国家が行政上の目的のために国家権力の主体としてその統治する人民に対し水産動植物の自由な採捕等を制限するいわゆる行政法規に属するが、行政法規は当該行政法規を制定する機関の権限が及ぶ地域(即ち国家の制定する法律については原則としてその領土および領海)に属地的に効力を有するのが原則である。もちろん行政目的の見地から必要な場合にはその権限の及ぶ地域を越えて属人的にその統治に服する人民を規制することは可能であろう。しかしこのような場合はあくまで属地主義の例外であるから、当該法規の目的性格から属地的統治地域を越えて規制を及ぼす趣旨であることが明らかであるかまたは明文をもつてその旨規定することが人民の利益のために必要である。以上の諸点を考慮すると漁業法所定の漁業調整上の各種規制はわが国が属地的に統治する水面(即ち原則として内水および領海)およびわが国が属人的に統治権の実力を行使することが可能な公海を対象とするもので、外国が属地的に統治し、わが国が属人的にも統治権を行使し得ない外国領海には国家間の条約上の合意等により外国がその領海におけるわが国の漁業を承認し、その結果漁業調整の必要が生ずる場合のほかは及ばないと解するのが相当である。漁業法六六条一項についてもその規制の対象となる海面を前述した範囲以外に特に拡大すべき理由は見い出せない。そうすると漁業法一三八条六号、六六条一項違反の罪は原則としてわが国の領海および公海においてなされた漁業についてのみ成立することになる。
もつともわが国に近接する国の領海で特にわが沿岸漁業等の漁場として適する海域においてはわが国の漁船がひそかに近接国の領海に侵入して操業することが多くなり、そのことが附近の沿岸漁業秩序を乱し、そのため近接国の領海における漁業についても漁業調整上の規制が必要となる場合もあり得ないことではない。しかし漁業法所定の漁業調整上の各種規制が外国領海における漁業にも適用されるとの解釈は、同法が違反行為につき罰則を定めている関係で罪刑法定主義の見地からも到底採用することはできず、この点は新たな立法措置に委ねられるべきある。なお検察官は外国領海における行為についても日本船舶でなされた場合は刑法一条二項、八条により漁業法一三八条六号、六六条一項を適用して処罰し得ると主張するが、これまでの説明で明らかなとおりそもそも外国領海における行為は右両法条違反の罪の構成要件に該当しないから刑法一条二項、八条の適用される余地はない。
三、領海の幅員に関しては現在の国際法上必ずしも充分確立した原則はないが、最近沿岸線から三海里を超えた幅員を主張する国が一部にあるものの、一八世紀末以来幅員を三海里とすることが国際社会において広く認められてきたこと、日本国も一八七〇年以来三海里の主張を維持してきたことに鑑みれば領海の幅員は沿岸線から三海里とすることが国際法上相当である。前記認定の被告人の五回の操業のうち最初の四回はクナシリ島ハツチヤウス鼻西沖合二・五海里のクナシリ島領海でなされたのであるから果してクナシリ島が、日本国が統治権を行使している領域であるか、外国が属地的に統治していて日本国が属人的にも統治権の実力を及ぼし得ない領域であるかを考察しなければならない。
クナシリ島が少なくとも第二次世界大戦終結前は日本国の領土に属し、日本国が統治権を行使していたことは歴史的にも明らかな事実である。しかし第二次世界大戦終結に際し、日本国政府は、アメリカ合衆国、グレートブリテン国および中華民国が発し、後にソ連邦が参加したポツダム宣言を受諾して、昭和二〇年九月二日連合国最高司令官および主要連合国との間で降伏文書に調印した。これにより日本国は、自らの意思にもとずき、ポツダム宣言の七項に定める日本国領域の占領と、降伏文書八項に定める日本国政府の国家統治の権限を連合国最高司令官の制限の下に置くことを承認したわけである。連合国最高司令官は右ポツダム宣言および降伏文書により定められた権限にもとずき、降伏文書が調印されたその日、一般命令第一号を発して、従来の日本国の全領域につき日本国軍隊の降伏を指令し、千島列島についてはこれをソ連邦に占領せしめた。一方、ポツダム宣言および降伏文書の諸条項によつて強大広汎な権限を有する連合国最高司令官の制限下におかれながらも、日本国政府はその国家領域につきなお統治権を有していたが、連合国最高司令官は昭和二一年一月二九日日本国政府に対し、「若干の外廓地域を政治上行政上日本から分離することに関する覚書」を送り、その中で「一、日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇傭員その他総ての者に対して、政治上または行政上の権力を行使すること、及び行政しようと企てることは総て停止するよう日本国政府に指令する。」と命じ、ここに云う日本の地域から除かれる地域の一部として「千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋男留、志発、多楽島を含む)、色丹島」を挙げた。この覚書により以後日本国政府はクナシリ島を含むこれらの地域に対し全く統治権を行使することができなくなり、ソ連邦のこれらの地域に対する属地的統治が事実上も法的にも承認されるに至つたわけである。
このようにクナシリ島に対しソ連邦が属地的統治権を行使し、日本国が統治権を行使し得なくなつた法的状態はその後現在に至るまで変更されていない。即ち昭和二七年四月二八日ソ連邦などを除く主要連合国と日本国との間に平和条約が発効したが、ソ連邦は右条約の当事国にはならなかつたから日本国とソ連邦の間では右条約発効後も引続き降伏文書調印以後の法的状態が継続していたことになる。さらに日本国とソ連邦の間では昭和三一年一二月一二日「日本国とソヴイエト社会主義共和国連邦との共同宣言」が発効し、日ソ両国間の戦争状態は法的に終了したが、右共同宣言はクナシリ島の法的地位については何ら規定していない。
しかし右共同宣言は、平和条約に規定すべき内容をほぼ網羅しながら領土問題については、当時すでに南千島、ハボマイ群島およびシコタン島の領土帰属問題が両国間の重要な懸案事項の一つになつていたにもかかわらず、ハボマイ群島およびシコタン島の将来の帰属を定めたのみであること、九項で後日両国間に平和条約が締結されることを予定していることを考えると南千島については共同宣言発効後も当分の間は降伏文書調印以後の状態を継続させ、領土問題の最終的解決は後日締結されるべき平和条約に委ねられたと解すべきである。
そうすると前記主要連合国と日本国との平和条約二条C項により日本国がクナシリ島を含む千島列島全島の領土権を放棄したか否かはともかくとして、少なくとも日本国としては現在ソ連邦がクナシリ島に対し属地的に統治権を行使している事実を全く根拠のないものとして否定することはできず、日本国は依然として現在なおクナシリ島に対し統治権を行使し得ないものといわざるを得ない。
四、そうするとクナシリ島の領海は現在ソ連邦が属地的に統治していて、わが国は属人的にも統治権の実力を行使し得ない点で外国領海と同一視されるから六六条一項を含む漁業法の各種規制の対象となる海面には含まれないと解すべきである。結局クナシリ島の領海における漁業は同法一三八条六号、六六条一項違反の罪を構成しないことになる。
五、以上の考察のとおり、前記認定の被告人の五回の操業のうち最後の五回目の操業については少なくとも揚網した行為はクナシリ島沖三海里を越えた公海上で行われたから漁業法一三八条六号、六六条一項違反の罪に該当するが、最初の四回の操業についてはクナシリ島沖三海里内で行われたから同法条違反の罪を構成しない。しかし本件公訴事実は全体として漁業法一三八条六号、六六条一項違反の包括的一罪として起訴されたものと認められるのであつて、右犯罪を構成しないと認定した行為は公訴事実の一部にすぎず、公訴事実のその余の部分については判示認定のとおり被告人に有罪を言渡すべきであるから右犯罪とならない行為については主文で特に無罪の言渡しをしない。
以上の理由により主文のとおり判決する。